[ 3.29〜31 ]


N.S.D.Pとして名古屋と大阪のライブを決行する事に決めた。

電力供給のバランスを俺達なりに考えてリハーサルは全て夜中にする事にした。
リハーサルを夜中にしてそのまま大阪に向かい箱に入りリハに入ると言う結構過密スケジュールではあったが…

俺達が出来る事を考えて急遽一曲入りCDを作り、それを販売して更に募金箱を設置してそれらを全額義援金として寄付する事にした…。

大きな規模ではない、小さな事かもしれないが小さな事が重要なんだ…
衣装に喪章を付けなるべくドクロ等不吉なデザインは排除した…

これも小さな事かもしれないが…

ライブをやってみて思った事は…

やって良かったと思う…!
改めて自分の居場所や存在意義を自分自身確かめる事が出来た。

色んな意見があるかもしれない…
凄く悩んだしスティックを暫く握れなかった…
だけどやはりこれしかなかった…

スネア一発叩く度に、ペダルを踏み下ろす度に俺は生きてる喜びに感謝した。

何気ない事や当たり前と感じていた日常ってヤツに感謝した。

何よりも…

幕が開いて待っていてくれた大阪と名古屋のオーディエンスの顔を見た瞬間に込み上げるものがあったよ…

俺が一番懸念していた事は東日本と西日本の温度差ってヤツ…

今から綴る事はあくまでも俺の個人的な、実際行ってみての感想であるから了承して頂きたい。

俺が一番感じた事は…

自分自身の中での温度差が生じた事だ。

東京から大阪や名古屋に着いた時、その活気に驚いた。
音楽は街からガンガン流れ、夜になったら「ラスベガスかよ?」と思う程街は明るくコンビニ等はまだ商品は豊富だ。

現在の東京の状態からか最初は「あの電気は無駄だろ?」とか「必要無いだろあの看板」とか、ケチつけていた自分が居た。

でも…それも最初だけだったんだよ…

東日本の人達には申し訳無いのだが何しろ“揺れない”んだよ…。
正直最近地震酔いをしていたのかもしれない。
揺れてなくても揺れてる様にずっと感じていた。
だから安心感が半端無かった…

あれだけ物凄く気になっていた原発の事も西日本に居た時はそれほど情報を収集しようとは思わなかった。
環境に順応する生き物。
それが人間だ…。

俺はその安心感やついこの間まで日常にあった活気や電力にすぐに慣れちまったのかもしれない…

それに気がついた時、自分自身に愕然とした…
そして吐き気がするくらい嫌悪した…
結局当事者の痛みや想いは“そこ”に居ないと全くリアルに感じる事が出来ないって事なんだ…
数日前、被災地から避難して来た方と話す機会があったのだが被災地と東京でもかなりの温度差がある…

解っていた筈なのに…

俺自身の温度差とはこういう事だった…

他人に対しての温度差ではない。
自分自身の温度差に苛立ちを覚えたのだ…

この日記を俺は今、東京で書いている。
朝方東京に戻って来たらその街の暗さに驚いた。

そしてその西日本に居た二日間が嘘の様にリセットされていく…
また当事者面になるのである…

本当に愚か者だ…

この感覚は絶対に忘れないようにしよう…

もう決して誰かを責めたりしたりしないように…
自分の経験や想った事を音楽としてメッセージを込めて赤裸々に発信出来たら…

だからこそ歩みを止めるのはもうしない…


俺は何よりも“生きる事”を伝えたいドラマー…

ミュージシャンだから…