BIOGRAPHY


15の夜・・・、いや15の時に横浜銀蝿の影響でバンドに目覚める。
当初Vocal志望だったが、ハモにつられて主旋が歌えず断念。
Guitar・Bassと試みるが、性格上細かい作業に無理が生じ断念。
叩けば鳴るという安易さ、殴る、蹴る、という作業が性に合ったのか、ドラムを始める。
母親のサイフからくすねた金で買った初心者用のドラムセットのドラムペダルを組み立てられず、一年間手だけで演奏。
まともにバスドラムを踏むことができないまま、当時付き合っていた女とマッチの「嵐を呼ぶ男」を見てマッチのツーバスセットに触発され、「戦車みたいでカッコイイ」という理由からツーバスに移行。
しばらく何の為に2つあるのかわからないまま時は過ぎる・・・。
徐々になんとかバスドラムを踏めるようになり、なんとかドラマーとして確立する。

その後、暴行および素行不良で高校を中退させられる。
でもクビになったより、自分から中退したと言ったほうがカッコイイと考えた末、「ドラムでプロになる」とまわりの人々にビッグマウスを言い放つ。
「高校やめたら勘当」と親に言われ続けていたので「勘当されてやるから手切れ金よこせ」と、なぜか10万円を受け取り、ブラブラ遊びだす。
たまたま調理師免許をもった友人が働く温泉街に流れ着き、そこでうやむやのまま板前をさせられる。
半年間ぐらい働くうちに「俺はなにやってんだ?」と激しく思い帰京。

「バンドやるって言って高校もやめた事になってるし、何かやるかな・・・」とバンドを探す。
何事もカタチから入る体質ゆえに楽器屋でバイトをしながらメンバーを物色する。
当初の音楽はとにかく凶悪で凶暴性のあるものを好んだが、なぜかロックンロールバンド「JACK BLUE」に加入。
とにかくライヴが出来れば良し、と考えていた為でもある。
しかしながら「とにかく激しいヘヴィーメタル」がやりたくてたまらなくあっけなく脱退。
最高のヘヴィーメタルバンドを作るが如く「REDRUM」結成!!
・・・が自分の中のヘヴィーメタルブームが去り、あっけなく脱退。

(余談だが、この時短髪リーゼントを好んでいたが、心のどこかで長髪じゃないとプロになれないと考えていて、どうすれば長髪で男っぽい髪型ができるのか模索して逆毛サイドバックが確立する。)

この時すでに音楽ポリシーはなく「売れるかな?」と安易に考え「女的-ガールティック-」に加入。
しかし長続きはせず、当時エクスタシーレコードの「VIRUS」に誘われてあっさり承諾。
ここで初めてのレコーディングを行い、「エクスタシーサミット in 武道館」にも参加。
・・・が、メンバー脱退によって解散。
後に、元々知人でもあった「AION」に加入。ここでめでたくメジャーデビューとなる。
初めてのホールツアー、L.Aレコーディング等を経て、少々テング気味となる。
3枚のアルバムを発表した後、「一人でもイケるんじゃないか?」とタカをくくり脱退。
スタジオミュージシャンの道へ進むかと思いきや、何を思ったか自らリーダーとなって「VIRUS」を再結成。
アルバムを発表後、復活ツアーを行うがその後大コケ。なんとなくフェイドアウト・・・。

やっと正気に戻り、そろそろ自分のミュージシャンとしての将来を気にするようになり、スタジオ・サポートミュージシャンに移行。数々のRec・ツアー等を経験する。
暫らく本当の意味での一人を満喫。

旧知の仲であったJu-kenとSCHONと共にCRAVEを結成
三十代に再びデビュに踏み切る
バンドとはいえ各メンバーの個々のスケジュールが思うように噛み合わず活発な活動が望めず活動断念

以前から舎弟・・・いや知人であった雅之輔に頼まれ、「THE Cigar Pockets」のプロデュースを手がけるかたわら、叩ける人間が見つからずサポートでライヴで叩くようになる。

この時から作詞家としての活動やプロデューサーとしての活動に目覚めはじめ、ドラマー以外の自爆行為に身を投じはじめる
ドラマーとしては再びフリーのミュージシャンに戻り、
「やっぱ一人だと気が楽だよな、縛られる事なく自由で」
と思いきや自分自身でスケジュール管理等しなくてはいけなく
「やれねぇ事なんてねぇだろ!?」と必ず怒濤のスケジュールを組んでしまう
日本一の自爆ドラマーとして日夜頑張って生きてます(笑)