HISTORY
『 酒井 愁 - HISTORY 』

「ドラマー覚醒編・"棘の入口"」


〜第九章〜



俺は再びあの温泉街に降り立っていた。

駅に直美さんが迎えに来てくれた。
久々にこの街で見る直美さんはまた違って見えるから不思議だ…

俺は山土井が入院したと言う病院に向かった。
何の因果かアキラくんが息を引き取った同じ病院だ…
広いようで狭い温泉街だ…
無理もない…

病院の入り口にてコーちゃんと再会する。

「坊!志半端で帰って来るとはどうゆう了見だ!あぁ!?」

と感動の再会を期待していた俺は面を食らう…。

「嘘じゃ!久しぶりだな!坊!」

と驚かされた(笑)

病院のロビーでコーちゃんは俺と直美さんに事故の様子と山土井の具合を話しだす。

「自爆だ…仕事終わってちょいと引っ掛けて寮に帰ろうとしたらリアタイヤ滑らせてそのままガードレールにドカンよ…左足と肋骨数本骨折したのと打撲したくらいで済んだのは幸いなぐらいだ」

コーちゃんの話を聞いて俺は少し安心した。

「なんだよ…良かったぜ…!大事に至らなくよ!」

「話はまだ終わってねぇぞ?」

コーちゃんは険しい顔をしながら俺に言った。

「坊…人間の五感って知ってるか?視覚、触覚、味覚、嗅覚、聴覚…アイツは…山土井は今度の事故で味覚を失った…。」

一瞬コーちゃんが何を言ってるか解らなかった…。

「へっ…?何…?何それ…?」

言葉を失った俺だった…
するとコーちゃんがやりきれない様子で…

「もう奴は味が解んねぇって事だよ!!」

と何かに叩きつける様に言った…

余りの衝撃に呆然とする俺と直美さんだった…

「山土井くんはこの事知ってるんですか?」

直美さんがコーちゃんに聞くと…

「いや…まだ知らないんですわ…病院の飯既に食ってるけど口の中も切れてるからそれで味がしねぇと思ってると思うんで…誰がアイツに言うかってトコなんですわ…」

するとコーちゃんは俺に

「坊…!オマエとカミさんでアイツに言ってやってくんねぇか?俺や親方やけん坊じゃ…同じ板前の奴に言われるより少しはとっかかりの受け入れ方も違うんじゃねぇかと思ってよ…!」

困った…
正直困り果てた…

「アイツはもう板前が出来ねぇ訳じゃないんだよね?」

俺が問うと…

「出来ねぇ訳じゃねぇ…包丁は扱える…しかしそれだけだ…!花板にはもうなれねぇ。煮方にもなれねぇ。一生仕込みの修業僧だ…そんな現実を板前である俺達は…言えねぇ…!残酷過ぎて言えねぇんだ…!」

板前として夢を奪われた事になる…
店を持つ…自分の味を造り出す…
それらの可能性を山土井は一気に奪われたのだ…

そんな死刑宣告みたいな事を俺が言うなんて…

あのコーちゃんの頼みだ。
断れるわけがねぇ俺だが…
正直…一体どうすればいいか解らなかった…
それは直美さんも同様だった…
俺達は途方に暮れた…

俺達は病室に行った…。
すると思いの外、山土井は元気そうで…

「おぉ!酒井!!わざわざ悪ぃな!ざまあねぇぜ!まったくよ!あっ!姉さんも花すんません!心配かけやした!」

俺は…

「何だよ随分元気そうじゃねぇか。こんなだったらすぐに退院だな」

「あたりめぇだ!こんなんでくたばってたまるかよ!?でもよ…わりぃ…オメェと乗り回したRZオシャカにしちまった…」

「馬鹿!んなもんより命の方が大事だろが!?」

元気に振る舞う山土井と会話してるだけで辛かった…
涙が出そうになった…

言えなかった…

他愛もない会話をただ進めるくらいしか出来なかった…
そのまま検診の時間になり俺達は病室を出た…

激しい憤りを感じた俺達は病院の屋上に場所を移した…
俺は彼女に助けを求めた…

「直美さん…どうすればいいかな…俺…奴の面見たら言えなかったよ…」

直美さんは…

「解るわ…でもいずれ彼はどんな形であれこの現実を知る事になるのよね…せめて一番傷つかない形で伝える方法は無いかしら…?」

完全に袋小路状態だった…
直美さんは…

「愁…言えないなら私から言おうか…?彼が傷つかない様に上手く言えるかちょっと自信無いけど…」

その言葉を聞いて俺は決意した。

「直美さん…俺…アイツのダチだからさ…!味音痴になってもアイツ…俺の大事なマブダチだからさ…!俺がアイツに言うよ!!」

「…うん」

直美さんに何気なく背中を押して貰った様な感覚だった…!
そして再び病室に向かった…
丁度山土井は食事をしていた…

「直美さんは此処に居てくれ。俺がサシで話してくるから…」

「解ったわ…」

直美さんをドアの所で待たせて俺は再び病室に入っていった…

「山土井…話があるんだけどよ…」

「何だよ。あらたまってよ」

俺は心を奮い立たせて言った…

「オマエがよ…オマエが死んじまわなくて…俺は…俺はよ…本当に神とか言う奴が居るなら感謝してるぜ…今オマエがこうして生きてる事が俺はどれだけ嬉しい事か…でもよ…でも…オマエの…」

「味覚が死んだって話か?」

俺は驚いて言葉も出なかった…

「解ってたぜ…薄々な…俺だって何百回と喧嘩して口の中がザクロになって飯の味が解んねぇ経験してきてんだ…だが今回は違う…日に日に少しずつ蘇ってくる筈の味覚が全く蘇らねぇ…今もそうさ…全く飯の味が解んねぇ…。酒井…ハッキリ言ってくれ…俺の味覚は死んだのか?俺は糞医者の話なんて信じねぇからよ…マブのオマエの話しか信じねぇ…オマエが言う事なら俺は信じる…言ってくれよ…俺の味覚は死んだのか?」

俺は涙が出そうになったがこらえて歯を食い縛りながら言った…

「あぁ…そうだ…オマエの味覚は死んだんだ…」

山土井は暫らく沈黙すると…

「そうか…参ったな…あんがとな教えてくれて…わりぃ…ちょっと一人にしてくんねぇかな…」

「解った…」

俺が部屋を出てドアを閉めると山土井のむせび泣く声が俺の耳に入ってきた…

俺はその声をドア越しで聞きながら泣いた…
いつまでもいつまでもその声を聞きながら泣いていた…

直美さんも泣いていた…


そのむせび泣く山土井の声はいつまでも静かな病院の中でこだましていた…