HISTORY
『 酒井 愁 - HISTORY 』

「板前編・"拾われた未来"」


〜第十三章〜



山土井の言葉を聞いてもどことなく現実味を感じる事が出来ない俺だった…。
泣き崩れる山土井をケツに乗せRZ350で皆よりも一足遅く収容されたと言う病院に駆け付けた。

ある一室のドアを開け中に入るとそこにアキラくんが横たわっていた…

顔面にはあまり外傷が無く寝ている様にしか見えなかった…

しかしピクリともしない…

事故だと言う…

その日泥酔したアキラくんは道端で潰れてしまいそのまま車で轢き逃げされて重体だったが間もなく息を引きとったと言う…

あのアキラくんが…

誰かに刺された訳でもない…撃たれた訳でもない…
そんなあっけない死に方なんて…

それでも俺はアキラくんが今にでも起き上がってくるのでは…と言う気がしてならなかった。

「アキラ…車と喧嘩したって勝てねぇよ…馬鹿野郎が…」

コーちゃんの押し殺した様な声でようやく俺は人の死に直面した事を自覚する…
しかしまだ“あの無敵のアキラくんが死んだ”と言う事を自分の中で受け止められないでいた…

あのアキラくんが…!
ほんの数時間前にはいつもの様に一緒に過ごしていた人が…あんなにも喧嘩が強い人がもう動かない…
どうしてもそれを自分の中で認識して受け止める事が出来ないのだ。
恐らく親しい人の死にこうして立ち会う事も初めてだったであろう…
認められない…いや…認めたなくないのだ…。

号泣する皆の泣き声が響き渡る中で只一人俺だけがひたすら立ち尽くしていた…
只こんなにも簡単に人の命が消える事…
その現実に只愕然とした…

本田も山土井も泣いている。
皆も泣いている。
しかし俺は不思議と涙が出てこないのだ…

一人一人アキラくんに別れの言葉を言う。

俺の番になった時に頭の中で初めて出会った日の事が鮮明に蘇る…

「アンタ…殴りっぱなしかよ…ズリィよ…そんなのねぇよ…俺に一発ぐらい殴らせろよ…!いつもみてぇに坊って呼べよ!呼んでくれよ…!起きろよ…!」

一気に溢れてくる気持ちをコントロールする事が出来なかった…
そしてアキラくんがもう二度と動かない事…死んでしまった事をようやく自覚した瞬間に急激に涙が溢れてきた…

「轢いた奴殺してやる!」

何度も何度も泣き叫んだがその後犯人が捕まる事は無かった…

次の日の地方紙の新聞に小さな記事が載っていた…
本当に小さな記事…
人一人死んでこんなちっぽけな記事…
激しい憤りを感じた…。
そこには俺の知らない初めて聞く名前でアキラくんの死を記してあった…

アキラくんの遺体は故郷に送られ葬儀等もそちらでしめやかに行われると言う…
俺達は葬儀に出る事も許されず変わらずやってくる明日…訪れる毎日を火が消えた様に仕事をそれぞれこなしていた。
当たり前の事だが死んでしまったら明日はやって来ない…
そんな当然の事に恐怖すら覚えた。
死んでしまったら魂は何処へ…?
何処でも無い…“無”だ!
俺はそんな事を呟きながら絶望と恐怖の中に居た…
そして…


俺は喧嘩が出来なくなっちまった…

今まで相手を殺してやるつもりで拳を振りかざしてきた。
しかし人の死に直面し人を殴ったりする事にためらいを覚えた…。
相手を殺すつもりで殴る…
その先にある“死”が怖くなってしまったのだ…
いつか自分も死に至るまでは罪の無い誰かを殺めてしまうのでは…と言う新たな恐怖までもが俺を襲っていたのだ…

そんな俺の心を見透かされたのかコーちゃんに呼び出される。

「どうした坊?」

俺の異変を感じ取ったのか気持ちを全て吐き出せと言う。

「コーちゃん…俺…ヘタレだ…アキラくんが死んで急に人が死んじまう事に臆病になっちまった…喧嘩が出来ねぇんだ…怖ぇんだよ…!あんなにも簡単に人は壊れちまう…死んじまう…あのアキラくんでさえ…」

するとコーちゃんが

「坊…それはヘタレじゃねぇ。怖さを知ってる奴の方が強ぇんだ。今までオマエは自分の為に自分を守る為だけに拳を使ってきた。テメェのプライドを守る事は大事な事だ。だがな…それだけじゃ男は駄目だ。これからは誰かを守る為に拳を使え。正しさゆえの拳も必ずある筈だ!そして…これから先は拳じゃないかもしれねぇ事も増えてくるだろうよ…いずれにせよ男は腕っぷしよりも心が強くないと守りたい奴も守れねぇ!強くなれ…坊っ…!アキラもそれをきっと望んでるぞ…!」

コーちゃんは丁度例の飲み屋の彼女と所帯を持つ考えがあったようだ。
だからこそこの言葉はザックリと心に刺さった…

コーちゃんと話して少し楽になった…
しかし心に宿った大きな穴は埋められないままでいた…

ある夜…

仕事を終えてかつての精彩を欠いた俺はフラフラとホテルのフロントから出て歩いてると目の前に驚くべき人が立っていた。

直美さんだった…

あれだけ毎日来ていた俺が急に来なくなって心配して来てくれたらしい。
それとどうやら広瀬さんが俺の事情を彼女に話してくれていたらしい…
驚きを隠せない俺は狼狽しながら言った…

「な…直美さん…どうしたの…?」

俺が問い掛けると

「大丈夫?酒井くんが心配で…何かいてもたってもいられなくなっちゃって…来ちゃった…」

死ぬ程嬉しかった…
浮かれた気持ち等ではなかった。
アキラくんが死んでから心に出来た大きな喪失感を誰かに埋めて欲しかった…
逃げ場の無い闇の中に捕われていた俺は一気に心から誰かにすがりたくなった…
彼女にすがりたくなった…

思わず衝動的に彼女を抱き締めてしまった…

「貴方が私を必要とするなら今日私がずっと一緒に居るから…安心して…」

耳を疑う様なこの言葉を聞いて一瞬戸惑ったが俺は不思議と安心出来た…
闇の中に光が射した様なそんな安堵感だった…
そして気が緩んだら何故か泣けてもきた。
泣いてる所なんて格好悪過ぎるから見られないようにしたら

「いいんだよ…それは格好悪い事なんかじゃないんだよ…」

その言葉で全てが救われた気がした…。
そして自然に出てくる想いを生まれて初めて口にする言葉にして彼女に言った…

「ありがとう…貴女を愛してる…」

彼女は優しく微笑んでくれた…
俺達は惹かれ合う様に唇を重ね合わせた…

そしてその夜…只の性的行為ではなく初めて俺は女性と愛し合った。
彼女の体温から安らぎを感じ…愛しさだけが俺の中で溢れていた…
俺は初めて愛を知った…

俺はこの人を守る為だけに拳を使うと強く心に誓っていた…。