HISTORY
『 酒井 愁 - HISTORY 』

「板前編・"拾われた未来"」


〜第三章〜



生まれて始めて仕事着に身を纏った俺は物凄い展開の早さに飲み込まれるように板場に立っていた…

中学の頃とはまるで違う身のこなしを見せるダチの本田の働く姿にまず驚く。

さっきこの俺に鉄拳を食らわせた小指の無いパンチ剃り込みのアキラくん
短髪二グロで眉毛が全く無い、右手にデカイ切り傷跡が眩しいコーちゃん
黙々と仕事はするが白衣からうっすら刺青がバレバレの金子くん
そして目つきも鋭くその猛者達を束ねる米沢親方。

挨拶と紹介を簡易的に済まされそう呼ぶように強要される。
俺は中学の頃からたかだか1、2個上なだけで尊敬もしてねぇ奴にやれ何々先輩だ、何々さんだ何々くんだと呼び敬語で話す縦社会が大嫌いだったが流石にここではマズイ事をいい加減悟る(笑)

すると…

「おい!坊っ!」

と怒号が走る。
シカトしていたら箸が飛んできた。

「オマエだ!坊っ!」

二グロのコーちゃんだ。
暫く沸き上がる怒りと殺意を整理するまで時間がかかったがなるべく心を落ち着かせて俺の中での最高の丁寧語で聞いてみる。

「坊って誰スか?」

「オマエだ!坊主の坊っ!」

頭の中に“殺殺殺殺殺殺殺殺”しか浮かんで来なかったが乗り越える。
坊主になんかになってたまるかと高校辞めたのに坊主って呼ばれるとは何と皮肉な事だろう(笑)
聞けば本田も下の名をもじった“けん坊”と呼ばれていた。
恐らくコーちゃんは以前右手を日本刀の様な鋭利な刃物でバッサリ切られたのであろう。
デカ過ぎる切り傷も痺れるが、その影響からか動いてない指があるのにも関わらず器用に包丁を扱っている。

「おぅ!ししとう持ってこいやー!」

今まで命令形で何かを言われて何かをやった事がないのである。
命令形自体許されない事であったがその度肝を抜くルックスと体中からビシビシ伝わる殺気を感じとり俺はのそのそと動き出す(笑)

今からすると笑うが当時俺はししとうを知らなかったのだ!
何故か大人になってからは食える様になったが当時は野菜大嫌いだった事も手伝って。

「ししとうって何スか?」

と聞くと

「オマエししとうも知らんのか!?緑のヤツだ!」

ヒントにもなってねぇ抽象的な事を言われまるで解らん俺は緑の物等ピーマンしか浮かばない。
冷蔵庫からピーマンを持って行くとボールごとぶん投げられる。

「ドアホ!馬鹿にしてんのか!」

金子くんがししとうを持ってきてくれてようやくししとうの存在を知る。

今度はアキラくんが

「おぉ!坊っ!!はす持ってこいやー!」

「はすって何スか?」

「オマエ、はすもしらんのか!?穴の空いたヤツだ!」

またもや抽象的なぞなぞ状態の俺は冷蔵庫を覗いても全くわからん。
穴が空いた食い物なんざ竹輪しか思いつかん。
竹輪を持っていくとやはりブン投げられる。

「ドアホ!蓮根の事だ!」

「最初からそう言えや!コラァ!」

と遂にブチキレて戦慄が走るも本田と金子くんに羽交い締めにされ親方がその場を一喝し一先ず場は鎮火…

あれ持ってこい、これ持ってこいの雑用だらけだったが何とか時は過ぎ終了時間になる。

俺の今までの経験上誰かしらに呼び出しくらってタイマンになるに違いない…いや、まとめて来てボコってくるに違いないと戦闘態勢になり腹を括っていたらコーちゃんも頭からトラブったアキラくんも何も無かった様子で

「坊2人飲みいくぞ」

と吐き捨てる様に言われるだけで調子が狂う。

ここでようやく本田と二人で話す事が出来た。

「あの人達は引きずらねぇんだよ」

意味が解らなかった。
自分の強さを保持確信する為、相手に上下関係を解らせる為に粘着質に怒りを持続させ力で相手をねじ伏せるのが男だと思っていた俺はその切り換えがよく解らなかったのだ。
そして次の瞬間にようやくある事に気づく…

俺なんて眼中に無いって事なのだ!
小僧すぎて子犬がキャンキャン鳴いてるにすぎないって事…
敵として認識されてもいないって事だ…
屈辱だった…
透明人間みたいなものじゃないか!
生まれて初めて味わう言いようのない屈辱だった…
殴られなくてもボコられなくても敗北感が全身を襲った…。

そして中学を出ていち早く働いて社会に出た本田がやけに大人に見えて遠くに感じ妙な孤独感をも俺を襲った…


着替えて本田と出ようとすると親方が

「坊主。暫らく手伝え。どうせやる事ねぇんだろ?けん坊の寮に泊まっていいし飯も食わせる。どうだ?」

確かにやる事ねぇし1日で色んな敗北感を植え付けられたからこのまま逃げるのはねぇな。
しかもド頭にアキラくんに殴られっ放しで男として認識もされぬまま背は向けられねぇなと思い承諾する。

しかし事態はその後様々な方向へ俺を導くとはその時の俺は知る由も無かった…