『 酒井 愁 - HISTORY 』
「インディーズ編・"選んだ道は渡り鳥"」
〜第一章〜
俺は遂にドラマーとしてインディーズと呼ばれるシーンで活動するようになった。
インディーズと言えば聞こえはまだいいが要するに只のアマチュアだ。
俗に言われる“売れないアマチュアバンドマン”の仲間入りを果たしたにすぎなかったが、
俺はようやくプロドラマーを目指す為のスタートラインに立てた気がして嬉しくてたまらなかった。
俺が初めて参加したバンド“XAVIES”は創設者であるギターの聖氏の脱退により新しいギタリストを迎えてバンド名を変える事になった。
新しいバンド名は“JACK BLUE”
俺はこのバンド名が最高に嫌いだった!
当時の俺には何処か“ヌルッ”とした印象が否めなく嫌でたまらなかったのだ。
まぁ…XAVIESも最強に微妙だったから最終的にはどっちでも良かったのだが…
新しくギタリストとして山之内くんと言う少し中性的な雰囲気を漂わす男が加入してきた。
彼は最初にメンバー皆に
「ジェイミーと呼んでください」
と言い放ち
一瞬吹き出してしまったがそれから俺は彼の事を“山之内ジェイミー”と呼んでいた。
「愁くん、山之内は外してよ」
と何度もお願いされたがこっちがこっ恥ずかしくてオンリーだけでは呼べなかったのだ(笑)
思えばこの時代まだ外人の名前を惜し気もなく名乗る風潮がまだインディーズシーンにあったのだが
俺はそれだけは恥ずかしくて名乗れなかった(笑)
そしてJACK BLUEとして活動を始めた。
活動と言っても月に一度か二度のライブくらいからのスタートだったが。
ライブ一回一回こなす事はスタジオでせこせこ練習するよりも俺をドラマーとして成長させてくれた。
ライブ毎に欠点が露呈し、ある意味で謙虚な姿勢でドラムに向かう事が出来た。
誰にも負けたくねぇ!負ける気もしねぇが何よりも一番テメェのドラムに我慢ならねぇ!みたいな(笑)
都内ではほぼ目黒ライブステーションでライブをやっていたのだが、
目黒ライブステーションの店長の松谷さんが俺の存在を面白がってくれて毎回のライブの後、色々な指摘をしてくれて俺のドラムの長所と短所を的確に俺に教えてくれたのだ。
まだ右も左も解らないミュージシャン新入生の俺はこれが非常に有り難かった。毎回毎回、松谷さんに「どうよ!?」と聞いていた気がする…。
バイト先の楽器屋でチケットを捌いたり、雄二が高校のダチ(あれはダチだったのか定かではないが(笑))にチケットを売ったりして細々と集客に貢献したりしていた。
何回かライブをこなしていくと更にある事が気になり始める…
音楽性だ!(笑)
本当はそこが一番最初重要なんだが、そこが二の次だったのだ俺は!(笑)
JACK BLUEに改名してから更にロックンロール色、ブルース色が強くなりメタルやハードロックの要素がどんどん排除されていった。
俺はこれが非常に不満だったがドラマーとして名を少しでも上げなくてはと言う思いからそこは我慢する事にしていたのだ。
しかし直美さんには完全に見透かされていた。
今はそんな事全然無いが何しろこの時俺はベースの佐野が大嫌いだった(笑)
バンドはチームプレーだ。集団行動だ。
流石の俺もそれくらいは解ってる。
違う環境で育って来た連中が“音楽”って言う名の元に集うのだ。
多少の摩擦はやむを得ないだろう…!
当時の佐野はメタルっぽい事は全部ダサイと否定し、まずは俺の左足を封じた。
要するにツーバスを完全に封じたのだ。
必要無いと。
確かに…このバンドでは必要ない…!(笑)
しかしまだまだガキの俺は並べてるだけでも満足であった。
当時のライブハウスにはハウスドラムでツーバスが置いてある所も多かった。
協議の結果、並べるのはいいが踏むのは無しと言う事になったりしたのだ。
これは当時の俺にはかなりのフラストレーションだった。
しかし当時メンバーの中で佐野が一番音楽的なポテンシャルが高かったのは当時の俺でも否定は出来なかった。
正直、リズムキープ等ドラマーとして完全に俺は佐野に鍛えられていたのだ。
要するに年齢もキャリアもだがミュージシャンとしても完全に末っ子状態だったのだ。
殴りたい衝動なんて数知れず。
しかし俺はミュージシャンとしてこれからは拳でなく音楽で勝負していかねばならんのだ。
だから我慢していた。
いや、我慢では無い…常に心でいつも三回唱えていた。
“今にみておれ”
…と。
拳でその場を掌握したとて真の勝利では無い…
俺は音楽で…ドラムで相手を唸らせなければこれからはいけないのだ。
それが出来ないのは己の力が、説得力が無いからだ…!
そんな時俺はいつもそう唱える事にしていた。
家で何も言わないでいると
「何かあるでしょ?解りやすいんだから!言っちゃいなさい!」
と直美さんに言われて俺は取調室の犯人の如くバンドの不満を、佐野の悪口を(笑)家でだけで言いまくった。
直美さんはそれに意見する事も俺の肩を持つような事も言わずにひたすら聞いてくれた。
それが俺には良かったのか家で直美さんに吐き出してリセットしてまたバンドに向かう事が出来たのだ。
そんな矢先、デモテープを録る話が持ち上がる。
そう…
初めてのレコーディングだ…!